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2006年4月

2006年4月23日 (日)

残念!ウルトラマン倶楽部閉店!

P1000004_25月末日をもって、浅草ROX内にある、ウルトラマン倶楽部が閉店するそうだ。子供を連れて浅草まで出かけた際には、何度か行ったことがあったので、これもまた淋しい。さようならイベントとして、ゴールデンウィーク中から月内いっぱい、立て続けに催しが行われる。このような、「ウルトラマン専門店」は国内では少ないそうなので、決して近くはないところからも多くのお客さんが来ていたようだ。 

ウルトラマン倶楽部がROX内にあることによって、その界隈ではウルトラマンショーなどがよく行われていた。実際、正月に初詣で浅草を訪れた際に立ち寄ったときには、息子もウルトラマンと握手している。

P1000073_1ウルトラマンといえば、今年でウルトラマンシリーズが40周年なのだそうな。実は私も、ウルトラマンという名前を聞くと、小さい頃を思い出す。今、こうして親になって、キャラクターは違えども、同じバックボーンを持つ正義の味方を子供たちとともに応援することは、キャラクターの息の長さと、番組との因果を感じるのだ。

この場所は、私の小さいときを思い出して、懐かしいと感じる場所だった。なにせ、ここにくれば小さいときに夢中になったヒーローや怪獣に出会えるからだ。

P1000128_6息子がウルトラマンMAXに夢中になってから、私も付き合うようになった。今はウルトラマンメビウスに番組が変わっている。とはいっても、同じウルトラマンシリーズ。息子が夢中になっている間は、私は記憶をたどりつつ、同じ夢を見させてもらおう。

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衝撃、円楽師匠勇退!笑点メンバー刷新!

P1000001 三遊亭円楽師匠の笑点からの勇退が決定したというニュースが流れた。1966年の番組開始から、笑点を支えてきた大功労者。一時、番組を離れたことがあったが、番組開始からかかわってきたのは、円楽師匠と司会代行の桂歌丸、セミリタイア中の林家こん平の3人。

今年、1月に2000回を達成し、5月には40周年記念特番を放送するそうだ。それを機に勇退という。

元旦の12時間特番では途中から参加して復調ぶりをアピール。先日も、案内役に復帰したばかりだったのに。笑点ファンとしては、とても残念で、淋しい限り。文化勲章、人間国宝に値する超名人芸。笑点を通じて、お茶の間、国民の娯楽に多大なる功績を残した。

新入りの昇太、正式メンバー(?)のたい平には先輩たちの分までがんばってほしい。あと、歌丸師匠にも名司会を期待しています。これからも見続けますから。

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咲き残った八重桜

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P1000056_15月からの取り壊しが決まった文化学院校舎を訪れた、先日のこと。4月も半ばを迎えるこの日、近くには八重桜の木が。咲き残った最後の花が、美しく枝に寄り添っているように見えた。

文化学院校舎から水道橋方面に歩いていくと、左手にその桜の木はあった。この通りは、とちの木通りというのだそうだ。そう、この通りの街路樹はとちの木。とちの木の街路樹をまっすぐ100メートルほど歩く。この付近の名所、男坂付近までくると、明治中学校・高校の体育館が。

P1000002P1000059体育館の横に、申し訳なさそうに、春の終わりを告げるかのように、ひっそりと桜の木がある。強い風、強い雨でもあれば、散ってしまうだろう。既に多くの花びらは路面に散在。そんな感じだった。

この辺りは、大小のビル群が立ち並ぶ世界の中で、タイムスリップしたような感覚を得られる場所もある。男坂、女坂といい、地形にマッチしていて、しかも趣が感じられる場所。そんな場所で咲き残った八重桜。美しくないはずがない。

P1000061P10000584月も半ばを過ぎた。もう間もなくゴールデンウィーク。桜の季節もようやく終わり。次はつつじの季節だ。

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2006年4月22日 (土)

さようなら交通博物館 (番外編)

P1000146_5先週末に行った、交通博物館の番外編。 

スタンプラリーをしながら娘を連れて館内を歩いていたところ、娘が立ち止まった。ちょうど、旧・万世橋駅のスタンプコーナーに近づいていたあたり。この付近は、遊具コーナーがある。お金を入れると動く「乗り物風」のアトラクション。言ってみれば、ゲームコーナー。ゲームコーナーには、いろいろなアニメキャラクターがあしらえられたアトラクションが。お金を入れなくても楽しんでいる。P1000106_2たまたまこの辺りはお客さんが少ない。そこで見つけたもの。「ミドリのマキバオー」のイラストがあしらえられたゲーム。このキャラ、懐かしい。

見学の途中、館内で「明日の交通室」というシーンがあった。名前のとおり、未来の交通機関について取り上げているコーナー。リニアモーターカーや未来の先進的な交通について触れている。

P1000125_3P1000126_4「明日の交通室」をそのまま過ぎて奥へ行くと、階段の手前には、なんと、籠が。これは、明日の交通なのか。なんてことはない、別のコーナーでの展示。ただし、そのまま歩いていると、「明日の交通室」の一連のものと勘違いしてしまうほどのシチュエーション。時代のギャップを感じるには最高の演出。

P1000115_3P1000114_5ちなみに、この籠のようなものは、正式には 輦台というのだそうな。明治維新頃のものというから、江戸時代のものといっても大外れではない。大井川を渡る際に使用していたというので、まさに、文明開化の際の貴重な「交通」だ。

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2006年4月21日 (金)

さようなら交通博物館 (その2)

P1000116_4 復刻記念硬券を2枚手に入れて、やれやれといった感じ。館内を見渡すと人、人、人。大変な混雑具合だ。さようならキャンペーンの効果は大きい。多くの人が閉館を惜しんで入館しているとみた。これほどの混雑は記憶がない。見学路のいたるところに行列ができている。小さい娘を連れて見学するには少し体力がいる。

P1000130_3さて、スタンプラリーを終えて、館内が混雑で人の熱気がものすごい状況になっているので、一息いれようと、館外の見学路を目指す。向かうは、2階連絡通路から弁慶号へ。ここには、SL弁慶号、客車(開拓使号)、SL善幸号が展示されている。そういえば、弁慶号はミニチュア版が青梅鉄道公園にあった。100円払えば乗車できるやつだった。

P1000131_3P1000132_3ここ交通博物館の館外展示物は、別に入館料を払わなくても路上からでも十分に近づいて見ることは可能。もちろん、入館者は柵内で車輌に最も近い場所で(つまり、見学路で)見ることができる。道路を通りがかりの人も目を凝らしている。 

P1000134_2P1000133_3P1000143_2これらの車輌は、いずれも日本に鉄道が開通されて、そう年数のたたない頃に輸入されたもの。陽気がよく、とても気持ちがいい。特に、この日の天気はよかった。しかも、館内と比べても見学者の数は少ない。穴場って感じ。 とは言っても、貴重な鉄道文化財だ。日本鉄道史を語り継ぐためにも、末永く大事に保存されていってほしい。

P1000144_2P1000145_3さて、またまた館内へ。とはいっても、どのフロアも人だらけ。多くのお客さんが来ているということじたい、私にとってもうれしい。階段付近が一番人が少ない。一路、屋上へ上る。神田川が見えるだろうか。電気街も望めるだろうか。そんな期待をこめて、娘を連れて上った。

P1000127_5屋上からは中央線快速電車、総武線各駅停車の姿が見える。もちろん、神田川も、秋葉原電気街も望める。そうそう、中央線快速電車の脇には、旧・万世橋駅ホーム跡がくっきりと。ホーム跡に沿ってオレンジ色の車輌が通過していく。線路は、ホーム跡に沿って美しい緩やかなカーブを描いているのだ。ちなみに、屋上から眺望しているお客さんは少ない。数人程度。

P1000128_5反対側の階段から、館内へ。休憩する場所もある。この場所にも多くのお客さんが。これだけ多くのお客さんが入館していると、休憩を取るにも一苦労だと思う。ちなみに、私は娘を抱っこしたりおんぶしたり。ここまで相当汗をかいている。でも、私も楽しみにしてきたし、娘もまんざらではなくところどころ目を凝らしては何か叫んでいる。

P1000158_3館内1階の9850形の前まで戻ってきた。旧・万世橋駅構内の特別見学が連日満員札止め状態だそうで、一般見学者も気軽に旧・万世橋駅の雰囲気を味わえるように、「のぞき窓」が設けられた。館内の小さいのぞき窓から「のぞける」のだ。 確かに、見学を期待して来場するファンは、事前予約できず当日も早々に受付終了で見学できず残念がるだろうし。気のきいた配慮だと思った。

P1000160_3P1000161P1000163_2館内の一角に設けられた休憩スペースの脇に、その「のぞき窓」はある。自動販売機が並んでいるその脇に、どういうわけか人だかりが。これではゆっくり休憩どころではない。それくらい、この場所も大盛況。この日も朝10時頃には当日の特別見学の受付は全て終了ということだから、のぞき窓だけでものぞいて帰ろうというお客さんが多い。

P1000148_3P1000167_1のぞき窓を見終えて、ここまでで約2時間。本当に人が多かった。疲れたけれども、こんなに多くのお客さんに見送られることは、私自身もとても嬉しい。多くのファンが閉館を惜しんでいるのだ。おそらく、全国からだろうと思う。  

P1000147_2最後に、1階をぐるっと一周して帰ろうと思った。そこに一つのドアが。そう、このドアは3月に旧・万世橋駅の特別見学で通過した場所。ここから見学に入ったのだ。このドアの向こうに旧・万世橋駅がある。夢のような場所が残されている。心残りであるが、もう閉館までに入ることはできないだろう。そう思って見つめていた。

P1000164_2P1000165_2時間は正午過ぎ。春の暖かい陽気の中、交通博物館をあとにした。あと1回、何とか閉館までに来たいと思う。

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淋しい、文化学院校舎取り壊し

Photo_3神田駿河台にある、文化学院の校舎が老朽化により取り壊されることになったそうだ。学校創設1921年。最初に建てられた英国コテージ風の校舎は関東大震災で消失。今の校舎は1937年再建というから、70年近く親しまれてきた建物。戦中下でも建物が焼け落ちることなく、現在まで街の名所だった。 

Photo_2Photo_5蔦のからまる建物は街中で異彩を放つ。それがまた味がある。大小のビルが立ち並ぶ街中で特徴的だ。このように、街のシンボルともいうべき伝統的な建造物が姿を消していくことはとても淋しい。神田駿河台界隈では、明治大学記念館講堂が取り壊されたことも記憶に新しい。山の上ホテル本館は1936年というから、文化学院と同年代に立てられた貴重な建造物。ぜひ、後世にまで残ってほしい。

Photo_4文化学院校舎は5月より取り壊しが始まり、2007年末に竣工。2008年より、新校舎として生まれ変わる。

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2006年4月20日 (木)

道路工事

P1000174_1 自宅前の大通りの工事がずっと続いている。通常、道路工事などの公共工事は年度末に集中して行われるものだと思っていた。

なのに、4月に入ってからもすぐに終わる気配がなかった。それがここ数日間で一気に工事が加速。アスファルトを敷く工事が急ピッチで始まった。これが毎晩すごい音。もちろん、雨が降ったりしたので工程に支障が出ているかも知れないが、真夜中にあの音はないんじゃないの、って思うのだ。

P1000173_1P1000175_1水曜の夜、自宅前の通りはすべてアスファルトの敷設は完了しており、白線が美しく描かれていた。ようやく静かな夜を迎えられそうだ。そう思っていた矢先、信号を渡ろうとしたところ、救急車が通り過ぎて行った。

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2006年4月19日 (水)

さようなら交通博物館 (その1)

P1000099_5 先週末、予定通り(?)神田須田町の交通博物館に娘を連れて行った。その前週の青梅鉄道公園に引き続き、鉄道系ミュージアム訪問である。

さようなら特別展もピークになろうとしている時期でもあり、相当な混雑を予想していたので、前売入館券をあらかじめ購入しておいた。9時半を少し過ぎた時間に到着したのだが、既に長蛇の列。前売り券を持っている人は、券売機に並ぶ必要がないので、そのまま入り口に直行した。

P1000103_3P1000102_2館内は既に400人以上の行列ができており、このとおり。10時前の段階で、旧・万世橋駅特別展のその日の見学予約は終了。復刻記念硬券を求める行列に変わった。その行列は、9850をぐるっとまわって、最後尾はC57135号の裏まで続いている。

それにしても、大行列。ここ数年で訪問した中で、こんなにも多くのお客さんが並んでいるのを見たことがない。皮肉にも、閉館記念がそうさせたことは言うまでもない。多くのファンが閉館を惜しんでの来館だ。並んでいる間に娘はウトウトし始めた。眠いようだ。行列が途切れないので、愚図り始めた。間もなくして抱っこしてとねだり、抱えあげた途端に眠ってしまった。

大行列に並んだ結果、2枚の復刻記念硬券をゲット。土・日・祝日用に通常よりも300枚多く、800枚用意されていたが、これもそれからまもなくすべて配布終了となった。

P1000166_1P1000104_2やれやれ、行列はこりごり。ようやく館内見学といきたいところ。娘もあまりの賑やかさに目を覚ました。通常の館内見学のコースでは面白くないので、今日はスタンプラリーから始めることとした。館内9箇所の指定の場所にあるスタンプを全て押すと、記念の特製クリアーファイルがもらえるのだ。早速、ゲット。

その後、館内を順繰りに見学。さよならイベントの一つに、鉄道模型パノラマの臨時運転がある。毎時30分のところ、それよりも頻度多く開催されていた。これも大きな人だかり。肩車をしても見えそうにないほどの人の数。我が家は断念した。 

P1000150_3P1000151_2P1000152_2館内の特徴として、各展示車輌のヘッドマーク。1号機関車(150形)、9850形、C57135号ともに、美しいヘッドマークをこしらえていた。特に、1号機関車の人気が高い。写真を撮る人が途切れないのだ。青梅鉄道公園にある3号機関車(110形)とともに、1872年に日本の鉄道開通に際して英国より持ち込まれた10両の蒸気機関車のうちの1両。青梅の3号機とここの1号機の2両しか現存しないので、大変貴重な車輌。この1号機は鉄道記念物はもちろん、重要文化財に指定されているのだ。青梅のそれと比較しても室内に大事に保存されているところは、大きな差だと思えた。

P1000155_3P1000156_3ここまでのところで、既に11時近く。館内はますますごった返してきた。さて、人ごみを避けながら、娘を連れて館内をさまよい始めた。(続く)

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2006年4月18日 (火)

新入社員

昨日、本年度入社の新入社員が各部署に配属された。4月3日の入社式以降、約2週間の研修を経てからの配属だ。まだスーツが体に馴染んでいないように感じる。

いつもこの時期に思うのだが、これから陽気がますます良好になっていくに際して、新入社員が入ってくると、こちらのほうも何となく嬉しくなってくる。季節がそう感じさせているように感じる。

それはさておき、新人諸君には社会の荒波に負けず頑張ってほしい。

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2006年4月16日 (日)

祝!石橋守騎手GⅠ初制覇!

今日はクラシック第1戦、GⅠ皐月賞が行なわれた。6番人気のメイショウサムソンが1着でゴールを駆け抜けた。あっぱれである。武豊のアドマイヤムーン、岩田康誠のフサイチジャンク、福永祐一のフサイチリシャールも最後は届かなかった。

騎乗は今年40歳を迎えるベテラン、石橋守騎手である。実は石橋騎手は初のGⅠ制覇なのだそうだ。これにも驚いた。もっと勝っているのかと思ったのだ。

石橋騎手と言えば、ライブリマウントとのコンビを思い出す。1996年に日本馬として初めてドバイワールドカップに出場し6位と善戦した。その前の年、交流元年と言われた1995年には積極的に競馬の交流レースに参戦して勝利を収めたことは記憶に新しい。

特に1995年10月10日、岩手競馬で行なわれたマイルチャンピオンシップ南部杯では、地元の古豪、トウケイニセイ、モリユウプリンスを抑え、岩手競馬史上に残る勝利を収めた。トウケイニセイは、このレースで3着に甘んじたが、3着になったのはこのレースだけ。あとのレースはすべて1着2着。もちろん、日本競馬史に残る名馬であると言える。

当時、東方征夷大将軍(中央のライブリマウント)が、奥州征伐(岩手の古豪を)するとまでの記事になったほど。ちなみに、トウケイニセイの主戦騎手をつとめていたのが、あのメイセイオペラ、トーホーエンペラーのとのコンビで有名な菅原勲。中央の強豪馬、有名騎手が地方競馬に参戦すると、それだけで当時はニュースとなったのだが、このときの南部杯に限っては、ライブリマウント、石橋騎手ともに悪役に転じてしまった。

しかしながら、ライブリマウントが交流元年に活躍したことにより、中央地方の交流の大きな礎となったことは事実である。同じ年、地方からは笠松のライデンリーダーがシンデレラのごとく中央にデビュー。ライブリマウントの活躍もそれほどの衝撃があったと記憶している。

これらの先駆的な名馬のおかげで、交流は深まり、あのホクトベガ、アブクマポーロ、メイセイオペラなど、中央地方にかかわらず記憶に残る名馬、名レースが誕生したのである。小牧太(元・兵庫)、岩田康誠(同)、吉田稔(名古屋)、内田博幸(大井)など、地方在籍のまま中央で活躍する騎手が登場するのも、交流が活発になったことによる効果だ。

それにしても、私も今日ばかりは嬉しい限り。石橋騎手の勝利によって、いろいろな記憶がよみがえる。祝GⅠ初制覇、乾杯!

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J・GⅠ中山グランドジャンプ

4月15日(土)、中山競馬場で中山グランドジャンプ(J・GⅠ)が行なわれた。今年で第8回を数える、国内障害レースでは春に行なわれる最高格。もともと4,100mだった距離も4,250メートルと、国内の競馬レースでは最長距離。もともとは、春と冬に行なわれていた伝統の『中山大障害』というレースの春バージョンであった。1999年より障害レースにグレード制が導入されたことにより、春は中山グランドジャンプ、伝統の『中山大障害』は暮れにのみ行なわれることとなった。1着賞金も国内で開催される障害レースでは最高の8,000万円。このレースは、いわゆる「GⅠ」として土曜日に行なわれる数少ないレース。このレースのほかには、暮れの中山大障害、晩秋のジャパンカップダート以外にない。

ちなみに、第1回は1999年4月に行なわれた。このときは、大江原騎手騎乗のメジロファラオ号が優勝した。雨降りしきる中でのレースであったが、名騎乗で逃げ切った。実はこの日は日曜日。阪神でGⅠ桜花賞が行なわれていた(勝馬は福永祐一騎乗のプリモディーネ)。GⅠレースが同じ日に東西で開催されたことは聞いたことが無かったので、とても貴重な日だったと思えた。

メジロファラオ号で勝った大江原騎手も既に引退した。J・GⅠの最初のレースのタイトルホルダーとして、競馬史にその名を残した人物だ。第8回ともなると、障害にグレード制がようやく定着してきたと感じる。

昨日のレースは、オーストラリアからの招待馬、カラジ号が昨年に引き続き制覇した。ゴール板前まで先頭を争ったテイエムドラゴン号とともに、熱いレースを展開した。障害レースは見ていてとても熱くなる。日本の障害レースも国際化されてきている。ドバイ国際競争や香港国際競争のように、日本馬が障害のレースで活躍し、歴史のその名を残すことを願うこのごろである。

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2006年4月12日 (水)

端午の節句の準備

P1000004_1 早くも5月人形のかぶとを出して飾っている。これは、息子の初節句のときに義父母より贈られたもの。息子はこれをとても気に入っているようだ。

毎年のことだが、飾る場所にいつも気を遣っている。いくら気に入っているといっても、小さい娘の手に届きやすい場所にあると、危ないからだ。ガラスケースに収容されており、いつも見上げて拝むような場所、つまり子供たちの手の届かない棚の上に置いている。

P1000092_4そして、小さいながらもこいのぼりを冷蔵庫上に飾った。これでなら遊んでもいいと子供に話してある。案の定、飾ったとたんに棒を持って振り回す始末。 かぶとで遊びたいといわれるよりは、まぁいいか。

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2006年4月 9日 (日)

山里の花々

P1000158_2

P1000099_4青梅鉄道公園に行った同じ日。せっかくここまで来たので、観梅にきたときと同じ辺りまで車を走らせる。梅の季節はとうに終わっているはず。そう思ってきたのだが。

鉄道公園付近では桜の花が満開だった。観梅地区である吉野梅郷へは市街地から15分ほど車でかかる距離。吉野梅郷は少し奥まっていて、多摩川をはさんで山が前後に迫る場所なので、桜の開花はどうかと心配だった。

P1000147_1P1000144_1着いてびっくりしたのが、まだ遅咲きの梅の花が枝に少し残っていたこと。この日は風が強く、次に雨が降ればすべて散ってしまうだろう。桜の花も八部咲き程度と見た。

前後に迫る山々にも、人知れず桜の花が美しく咲いていた。遠くからしか眺めることのできないような山の中腹。たぶん、だれもその場所まで足を運ぶことができないだろうと思う。

桜だけでなく、つつじと思われる花も見える。

P1000145_2P1000146_3桜の満開を待つ山里の路地には、ひっそりと水仙の花が咲いていた。遅い山里の春を歓迎しているかのようだった。

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青梅鉄道公園は桜満開!

P1000160_2週末、1月にも行った青梅鉄道公園を息子とともに訪れた。とても陽気がよく、気温も上昇。外を歩いていても寒くないし、ポカポカ陽気。動けば汗ばむほど。

神田須田町の交通博物館が5月14日(日)で閉館。神田の地で開館されてから70年でその役割を終える。一方、ここ青梅鉄道公園は、日本の鉄道開通から90年を記念して青梅の地に開館したもの。石碑には当時の十河国鉄総裁の言葉が銘打たれている。

P1000134_1P1000156_2この公園は、山の上にある。青梅駅前から車を走らせること数分。距離はとても短いが、標高差がある。徒歩で駅から向かうにはちょっとしたハイキング。

青梅線をオーバークロス。左側に青梅駅と電車庫が見える。体育館とテニスコートを左に見ながら、峠道のような道路を走ると、鉄道公園が見えてくる。この間、桜並木が美しい。駐車場はいつも停める場所が満車なので、少し離れた場所に確保。

P1000102_1P1000103_2さて、いよいよ入館。入場料は小学生以上100円。門を入って左側に歩くと、噴水池に十河国鉄総裁(当時)の碑が。それを過ぎると、D51492号。黒く光る、美しく逞しい姿。そう、鉄道公園の保存車輌はしばらくの間、整備作業で見学できなかったらしい。それも、3月29日(水)午後から再開されたばかり。

P1000105_2P1000155_2D51492号の左には、蒸気機関車3両、C515号、C111号、E102号が並んでいる。この3両も黒く塗り直されて美しい。C51、E10の保存車輌は国内では貴重。C515号はシルエットがとても美しい。しばらくC515号の美しさに見とれてしまう。  E10は製造数が少なく、国内でもこのE102号しか残っていない貴重なもの。

P1000127_4P1000107_2機関車広場を右のほうへ歩く。ここには、青梅線で活躍していたED161号が。これもきれいに塗りなおされている。準鉄道記念物に指定されている貴重な車輌だ。青梅鉄道公園は、青梅線の歴史に触れることもできるのだ。中学生の頃、青梅線で現役で勇ましく走っていた姿を思い出す。

P1000114_4P1000115_2ED161号を過ぎると、その奥には、蒸気機関車5両が保存されている。5両の機関車群の先頭には、鉄道開通当初に走ったうちの蒸気機関車1両、110型(3号機機関車)が見える。これは後世まで語り継がなければならない貴重な車輌だ。交通博物館に保存されている1号機関車(鉄道記念物、重要文化財でもある)とともに、鉄道開通当初から残る機関車はこれだけ。もちろん、鉄道記念物に指定されている。

P1000116_2P1000125_2この機関車は、公園内に保存されているどの車輌と比べてもとても小さい。しかし、日本鉄道史に残る貴重な車輌だ。1号機関車とともに、これからも大事に保存されていってほしいものだ。この車輌も、黒く美しく光を放っている。110号機関車の後ろには、5540号(通称ピーコック)、2221号(B6)、8620号(ハチロクの記念すべき1号機)、9608号(キューロク)も展示されている。  

P1000131_2P1000132_2P1000151_1機関車広場から階段を下ると、新幹線広場が。0系新幹線の先頭車両が保存されている。こんなに大きな車輌を、よくここまで運び込んだものだ。ここは青梅の山の上だ。館内の写真コーナーでは、この車輌を展示するまでの運搬シーンを展示してあったが、感心した。

P1000148_2P1000149_2P1000150_2新幹線車輌は、車内も見学できる。運転席はもちろん、車掌室も入れる。3列+2列の座席もそのまま。この車輌も美しい2色のラインが当時を再現。他のSLとともに化粧直しをしたばかり。 わが息子は、2つある運転席を交互に座り、運転手の気分を味わって(?)いたのだ。  

P1000126_3園内を一回りして、館内へ。1時間に1回、館内1階で模型の運転がある。このときばかりは、屋外で遊んでいる子供たちも館内に集合する。HOゲージ(正確には16番だろうが)のレイアウトの周りには肩車をして子供に見せようとする家族連れまであらわれた。確かに、子供たちはこれが楽しみだったりする。ちなみに、私の楽しみの一つ。神田の交通博物館とは比較にならない大きさだが、これはこれで味がある。

模型運転の時間は10分と少し。再び機関車広場へ。息子は100円を入れると動く自動車などの遊具に乗りたいとせがむ。言うことを聞いていたご褒美に、少しだけ希望をきいてやることにした。

P1000128_4P1000130_2私は、もう一度C515号を見たくなって、再度同機の前へ。横から見ても後ろから見ても、そのシルエットは美しい。しばし見とれてしまい、見入ってしまうほど。大正時代といえば、80年以上も昔の話。その頃既に、東京~大阪間を8時間という当時としては驚異的なスピードで走っていたという名機。今こうして青梅の山の上でのんびりと休んでいる姿を当時想像できただろうか。

P1000143_1この日は1月に来たときと比べても多くのお客さんが訪問していた。なにせ、陽気がいい。青梅の桜は今が満開か。多くの家族連れでにぎわっていた。 そうだ。この次は、交通博物館へ行こう。

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祝!新記録達成!

阪神の金本選手が、カル・リプケン選手の記録を抜いた。904試合連続の全試合全イニングの出場記録だ。リプケン選手は、全イニングではない連続出場記録では2632試合の記録を持つ。日本では、あの衣笠の2215試合。リプケンも衣笠も鉄人だが、金本もまさに鉄人だ。4月3日に38歳を迎えた。若い選手も金本の闘志を見倣ってほしい。

P1000145_1鉄人と称される日本スポーツ界のスターも、数多くの試練を乗り越えてきた。それをノンフィクションで綴った名著が、二宮清純氏の『失敗を生かす12の物語-自己改革に成功した男たち-』(光文社)である。スポーツ界で頂点を極めた鉄人12人が、不屈の精神で試練を克服したことを語っている。とても感動した。大相撲の寺尾、広島の衣笠、川崎競馬の鉄人・佐々木竹見など、繰り返し呼んでも飽きない。

P1000146_2金本も、歴史にその名を残す鉄人だ。この本に取り上げられている12人と比べても決して劣らない記録だ。まだ38歳。これからも、記録を更新し、その闘志で感動を与えてほしい。

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2006年4月 7日 (金)

交通博物館へ行きたい。

P1000092_3神田須田町の交通博物館が閉館するまで、1ヶ月と少しを残すばかりとなった。なくなってしまうのはとても残念。神田の街に移転してきてから70年、日本の鉄道史を伝えてきた。

既に今年に入ってから数回足を運んでいるが、あと2回は行きたいと思う。それにしても時間が限られている。連日、入場前には行列ができるだろう。そう思って、たまたま立ち寄った駅のみどりの窓口で前売入館券を購入した。私の分と息子の分。当日、券売機で買うよりも割安なのだ。しかも、入館当日、券売機の前で行列に並ぶ必要がないのだ。

もう少し、交通博物館の思い出を記憶の中に刻んでおきたい。

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ウルトラマンメビウス

明日、4月8日(土)より新番組、ウルトラマンメビウスがスタートする。3月25日(土)に終了した、ウルトラマンマックスに続くもの。マックスは朝7時半からの放送だったが、メビウスは夕方5時半から。テレビを見る習慣が少し変わる。これで朝早くからウルトラマンごっこにならなくてすみそうだ。

先週は、ウルトラマンマックスの総集編として、登場した怪獣の特集をしていた。メビウスが登場して以降、しばらくはマックスとのギャップを感じることになるだろう。

ちなみに、マックスの最終回では、カイト隊員とミズキ隊員の数十年後と思われるシーンがあった。2人のロマンスは、番組の最後で実ったかたちとなったのだ。こればかりは、私自身、子供向けのヒーロー番組の域を越えて、ドラマ性を感じたのだ。

マックスの隊員たちの映像は、うちの息子の人生の1頁を飾るものだ。私たち夫婦にとっても、家族のような存在。終わってしまうのは悲しい。彼ら出演者の今後の活躍を祈っている。

さようなら、マックス。こんにちは、メビウス。

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2006年4月 5日 (水)

Myパイク 番外編その2

またまた番外編。 今回は、正確に言えば、パイクでもNゲージでも鉄道模型でもない。

P1000089_1これは、昨年のクリスマスプレゼントとして、義父母よりわが娘にいただいたもの。運転手のコントロールで走行操作をできる仕組みだ。いわゆる玩具的なものだが、大人が見ていても面白い。直径30センチ足らずの小さな円盤状の中に、駅、橋、トンネル、踏切など、おもちゃにしておくのがもったいないほどのシーンが詰め込まれている。これは、まさにパイクといって問題ないだろう。そう思った。

運転操作で時計回りに車輌が動くのだが、スピード3段階、各ボタンの効果音が6種類。とても子供だけで楽しむものとは考えにくい演出。

P1000090_2動きは単純ではあるが、とてもセンセーショナルな印象をもった。

小さい子供だけが楽しむにはもったいない。大人の私にも楽しませてほしい。そう思った。

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2006年4月 4日 (火)

Myパイク 番外編

Myパイクコレクション。これは番外編。

NN_1パイクというよりも、Bトレサイズの車輌の走行テストをしやすいコンパクトレイアウト。スケールはNゲージ。2年近く前に秋葉原の模型店で購入した。A4のクリアーケースの中に収容されている。

これも見ているだけで面白い。胸がワクワクしてくる。 開いてみるとこのとおり。パワーパックにつなぐとすぐに走らせることができる。草地に線路が敷かれ、レイアウトとしてはとてもシンプル。自分でレイアウトをアレンジできそうだし、工夫次第でいろいろな可能性が秘められている。

たとえば、トミーの対向式ホームセットの端と端をつないだ短いホームを置いても、このとおり。味が出ている。

N_2N_3このレイアウトも、Bトレのみならず、HOナローサイズもOK。足尾のフォード(杉山模型)、津川のDLも走った。シンプルなレイアウトには、南部縦貫鉄道のレールバス、キハ02、Cタイプ蒸気(いずれもトミー製)、Cタイプロコ(マイクロエース)の車輌も走るのには問題ないし、レイアウトにマッチしている。 架線柱はないので、電車、電機は不釣合いだが、銚子デキ(ワールド工芸)、Bトレ電機もきちんと走る。ちなみに、KATOのチビロコセットの車輌を3両連結して走らせることはできなかった。 トライしたが、カーブがきつく、連結器が外れてしまうのだ。

Photo_15dlいわずもがな、このレイアウトも我が家の子供には大受け。小さいメルヘンのような世界に、たびたび見ては酔いしれているようだ。小さいながらものんびりとした景色の中を、のんびりと走る小さな車輌を楽しそうに見ている子供の姿を見ていると、こちらも楽しくなってくるのだ。

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メジロマックイーン死亡

90年代前半の日本競馬界を華やかに演出した、メジロマックイーンが死亡したというニュースが流れた。享年19。彼(馬)は、武豊とのコンビが思い出深いが、93年の天皇賞(春)でライスシャワー、メジロパーマーとの熱き戦いが鮮明に記憶に残っている。

ライスシャワーは、92年の皐月賞、ダービーを制したミホノブルボンの三冠を阻止した菊花賞馬。メジロパーマーは92年の宝塚記念、有馬記念を制したグランプリ馬。対するメジロマックイーンは、91年、92年と天皇賞(春)を連覇、91年の天皇賞(秋)では1着入線ながら進路妨害で降着。いずれの3頭とも当時としては最強の馬だったので、今考えてもその3頭が対戦したのだからすごいこと。

結果、92年の菊花賞馬、ライスシャワーが制し、マックイーンに引導を渡した結果となった。マックイーンはその後93年の宝塚記念を制し、秋の京都大賞典をレコードで制して勇退。史上初の10億円馬として、顕彰馬としてもその名を残す90年代前半を代表する名馬であった。

実は、そのとき、つまり93年の天皇賞(春)のレース以降、私は一切馬券を購入していない。まさか、ライスシャワーが勝つとは思っていなかったからだ。メジロマックイーン、メジロパーマー、マチカネタンホイザの3頭に照準を合わせ、自信を持って放送を聴いていた。ただ、この日はどういうわけか、マックイーンはゲートインを嫌い、スタートが遅れたのを思い出す。それが敗北の結果か。想像は尽きない。

ライスシャワーは、2年後の95年の天皇賞(春)も制したが、95年の宝塚記念で競争中止、安楽死処分となった。宝塚記念は本来は阪神競馬場で開催されるのだが、阪神・淡路大震災の影響で馬場が荒れてしまい、その年は京都競馬場での代替開催となった。震災復興記念競争と名を打たれ、しかも同レースでファン投票1位に選出されたが、歴史的なハイペースについていけなかった。震災復興を願う国民の声が高まるその年は、交流元年と呼ばれる年でもあった。偶然にも、ライスの愛した、GⅠを3度制した京都コースでの悲劇だった。ライスを偲んで、京都競馬場にはライスシャワーの記念碑が建てられた。私は、2年後の97年秋、秋華賞開催の当日(メジロドーベルとキョウエイマーチの一騎打ち)、現地で碑に手を合わせることができた。

そう、マックイーンを思い出すと、自然とライスシャワーのことも思い出す。だんだんと、その当時の競馬を知る人も少なくなってくるのは寂しい限り。90年代初めは、まだブライアンズタイム、サンデーサイレンスの産駒も出てきていない。言わば、群雄割拠の時代の名馬であった。今宵は、マックイーンとともに戦った当時の名馬のことも思い出し、献杯といきたいところ。合掌。

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2006年4月 3日 (月)

防災訓練の日

P1000127_3日曜に地元町会で防災訓練があった。我が家は家族4人全員で参加。

まずは、10時に指定場所へ事故なく到着すること。これで、緊急避難路の確認の訓練が終了。すでに、指揮車2台、ポンプ車1台が公園に到着していた。

町会長の挨拶の後、消防隊員、警察署員、地元消防団員より説明を受ける。今日は3種類の訓練を行うそうだ。救出訓練、応急手当訓練、はしご車の乗車体験の3つ。

P1000128_3我が家は、まず最初に救出訓練から。身の回りにある品物を使って、応急的に担架をつくるというものだ。物干し竿のような棒2本と、毛布1枚で担架をつくる。指導を受けて担架をこしらえた。大人4人で担架に大人1人をのせて運ぶことができた。そして、倒壊家屋の下敷きになった人を油圧ポンプで引き上げ、そこから救出するという訓練。いざというとき、人は重たいのだそうだ。これも臨場感ある方法で実体験。

次に、応急手当訓練。三角巾の縛り方を学ぶ。そして、人形を使って人工呼吸、心臓マッサージ、AEDの使用方法の指導を受ける。AEDは最近では駅、空港、デパート等、多くの人が出入りする場所では設置されているようだ。

P1000126_2最後に、はしご車の乗車体験。風が強かったので、予定を少し省略して実施。本当は乗ってみたかったが、下からはしご車の大きさにただ見とれたいた。こんな大きな車輌が緊急時出動するのだから、すごいものだ。電線等をかいくぐって、指定されたマンションの6階相当の高さまで達した時点で降りてくる。下から見上げていても怖い。こんな光景に実際に直面しないことを望む。 はしご車の出動機会が多すぎない社会でありたい。

すべての訓練を終了し、消防隊員から講評を受ける。11時半に終了。お弁当をいただいて解散した。

子供たちはせっかく公園まで来たのだから遊んで帰りたいとせがむ。1時間半、おとなしく隊員のいうことを聞いていた(娘は妻の背中におぶさっていたが)ので、ここは子供へのご褒美だ。砂場、ブランコ、鉄棒、滑り台。ひととおりの遊びを済ませているうちに正午をとうに過ぎていた。

P1000131_1P1000132_1公園に咲く桜の花も今日の強い風で空を舞っている。散った桜の花びらが地面に。さらに風にあおられ、宙を舞う。その繰り返しだ。午後からは雨の予報。雨が降ればほとんど散ってしまうだろうと思った。砂だらけの服をはたいて、手を洗って帰途へ。

P1000130_1P1000133_1来たるべき大震災に備え、地域の人と顔を合わせることで、地域で助け合っていかねばならないということを実感した。いざというとき、隣近所の人の顔、名前さえ知らなければ、誰の助けを受けることができないのだ。また、助けてあげることもできないかもしれない。

P1000134大震災は150年に一度の地球的規模の周期で起こっているのだそうだ。 今年は一定の周期から151年を迎えているらしい。隊員の説明に住民の方々とともに傾聴し、助け合うことが一番であることを感じた一日だった。

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2006年4月 1日 (土)

春の駅

P1000090_1P1000047_1御茶ノ水駅を乗るとき。つくづく感じたことがある。

夜の駅には淋しさが、昼の駅は活気がそれぞれ感じられる。春の駅は、ホームからの景色が人の心を暖かくする、そんな感じがする。

P1000066_1P1000075ホームから見下ろす景色の中に、別の路線を走る電車が見えるのも、またそれも面白い。御茶ノ水の駅ホームからはそんな風景を日常的に目にすることができる。ビルが立ち並ぶ街中でも、この場所は少し気持ちをほっとさせてくれる。

P1000076_1P1000081_2ホームから下の川面を眺めていると、地下鉄丸の内線の電車が通過した。電車の向こうには、今まさに満開を迎えた桜の花が咲いている。電車はトンネルの中に吸い込まれていく。

電車が桜の花を横目に神田川を渡るのは丸の内線の路線中でここだけ。

P1000084_3春の季節の中に、地下鉄電車が暖かい日差しの下で満開の桜の花と出会うシーンが見られるのも、ここ御茶ノ水駅ならでは。ホームから見上げると大きな聖橋のアーチが美しい弧を描いている。聖橋の上から丸の内線の電車を見下ろすのもいいかも。 

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夜の桜並木

P1000044_13月28日の水曜日、用事があって会社からの帰りがけに立ち寄りが発生した。

駅を降りてから目的地までの間、美しい桜並木が。夜の盛り場のネオンが桜の花をより一層美しく演出している。それにこたえるかのように、桜の花も夜の暗さに映えている。駅から近い街中にも、これほどの桜並木があったので驚くとともに、その美しさに口を開けたままぼんやりと眺めてしまう始末。

P1000046_1少しばかり足をとめ、ついつい見入ってしまった。 目的の場所へ行くのに、いつの間にか遠回りをしていた。

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